前田慶次の紹介

おはようございます。山形営業所の小玉です。

今回は上杉神社内の「前田慶次の館」について紹介したかったのですが、
残念な事に行った当日は館が閉じておりました。

前田慶次1 前田慶次2


ですので、今回は上杉家と前田慶次の関係について、簡単ながら紹介
させていただきます。

前田慶次は本名、前田利益といいます。
あまり知られてませんが、上杉の配下の部下だそうです。
前田慶次は元々は、利家と共に織田信長に仕える武将であったが、
日々のお城勤めに嫌気が射したのか、利家を水風呂に騙し入れさせ
自ら加賀を出奔したという逸話もあります。高禄で、あちらこちらから
スカウトされたが、旅をしながら自由奔放に生きたかったのか断って
いたとの事。
前田慶次が京都を旅していると、その頃上杉景勝と共に京へ上京して
いた直江兼続と出会いスカウトされる。自由に勤めるというのが条件と
いうことで、会津・上杉藩に仕官し上杉景勝に仕えることになった。
直江兼続に何か魅力を感じ、仕官を受け入れたのだと思われます。

最上義光の領地へ攻め入る時の、前田慶次の格好について上杉将士
書上にこう記されている。
『最上へ出陣のとき慶次郎は山城守宅で、黒具足に猩々緋の陣羽織に
金のひら高い数珠を首にかけ、数珠の房と金のヒョウタンを背に垂らし、
愛馬・松風の頭に金の甲をかぶせて馬に乗りどんすの袋に味噌やほしい
を入れ、鉄砲2挺を乗せていた』
朱色の槍を持ち、旗指には大武辺者(大ふへんもの)と書いてある旗指物
を付けていたそうです。


詩や和歌にも優れていた。長谷堂城の合戦により上杉家は会津120万石
から米沢30万石に移封されました。翌年の慶長7年(1602年)2月27日に
直江兼続の呼びかけにより、こので亀岡文殊堂27名の武将達と連歌を開
いた。その席にも前田慶次は出席していた。移封されたばかりで上杉家は
悲惨な状況化であったが、それを感じさせない賑やかな日々だったらしい
です。


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