東根城(東根小学校)の紹介

おはようございます。
山形営業所の小玉です。

今回は東根城(東根小学校)の紹介です。

現在は東根城小学校に東根城があったとされ小学校の敷地の周りは
石垣で囲まている状態です。

東根城5

東根城4

大ケヤキの木もあります。
この木は日本一と言われている特別の木となっています。

東根城1

東根城2

小学校の周りにも堀であったとされる池がいくつかあります。

東根城3


東根城は慶長五年関ヶ原の戦いがこの地にも及んだころ、徳川に恩顧をもつ義光と大阪方に組した会津城主上杉景勝が対立、上杉の臣、米沢の直江兼続が畑谷城、簗沢館、長谷堂上山と攻め、一方酒田城将志駄義秀、大浦城将下吉忠が六十里越から寒河江、谷地を攻めてきました。 さらに下吉忠の部将新関新五右衛門が長瀞を攻め落とし東根に軍を進めてきた。このとき城主里見景佐は主力を率いて義光勢に参じていたため守勢は少なかったが、奇略を用いたり、また半田助左衛門という勇敢な家臣が敵将新五左衛門に一騎打ちをいどみ、いまの東根温泉街道の近くの鷺の森地内でわたりあうが、敵新五左衛門の馬が水田に足をとられたために助左衛門に仕止められてしまいます。 これは鷺の森合戦として知られているが、その時の戦利品であるホラ貝がいまでも東根市荒宿の戸村家に保存されています。その後最上家が改易にになったあとは東根城は廃城となり、里見景佐は四国蜂須賀家に身柄を預けられます。その後寛文元年になると東根は幕府の直領となって城は陣屋にかえられさまざまな代官が移りかわった。
なお直江兼続は最上領土を攻め落としたのちにこの東根城を上杉領土の本拠地としようとしたとの話もある。

日本一の大ケヤキ

この地は、正平二年(一三四七)、小田島長義が築いた東根城が(小田島城)の本丸跡にあたる。 その昔、「雄槻」「雌槻」と呼ばれた二本の大槻があったが、明治十八年雄槻が枯れてしまい、雌槻だけ現在に残っている状態です。これが「東根の大ケヤキ」である。 山形県立林業試験場場長大津正英氏(農学博士)によれば樹齢一五○○年以上で、地上一.二mの幹周は十六mあり、さらに直径は五m。主幹は、地上五.五mの高さで大きく二股に分かれ、西南側のものがやや直上して枝を分け、東側も大きく三枝に分けて大空をおおい、その高さは約二八mに達する。平成元年五月、植物学の権威者である金沢市の里見信生氏が大相撲の番付表を模した「日本欅見立番付」を発表したが、「東根の大ケヤキ」は東の横綱に位置し、名実ともに日本一であります。

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